昭和40年9月13日 夜の御理解
今日、13日会の、お茶が出ましたときに、お餅が、お茶請けに出ておりましたが、それを、ちょっとこう、頂きすぎたものですから、何かこう、胸がつかえておる上に、今夜は、お客さんがちょっとあったものですから、おかゆさんでなしに、普通のご飯を頂いておる。それが、いよいよこう、胸がつかえたようで、それから何か気分が悪くなってから、お風呂はいらして頂いたら、今晩、御祈念が出来んのじゃないだろうかと思われるくらいに、ちょっと三十分余りでしたけど、気分が悪かったんです。まあ、それからこう、ま、色々思うんですけれども、頂きすぎという事ですねえ。もう、今の椛目の場合、確かに私共、信心も出来ませんのに、おかげを頂きすぎておると。ましてその、受けものもないのに、ああして御造営なんかが、一つの勢いを持って、押しに、押したくって行きよるといった感じで、ま、進んでおる。まあ、ある意味で言うなら、まあ、無計画のまま、自分達のその腹も決めんまま、押したくって行っとるというような感じがするんですよね。もう、二千万といったり、三千万、さあやれやれといって、三千万が四千万になり、昨日、企画委員の方達の、「んー」、資金計画の、案が出けておりましたので、お取次ぎさせて頂いたんですけれども、五千万円では、少し足りないと言うております。ま、そういうような例えば、おかげの、それは勿論その、私が頂くのではないのですけれども、神様の一つの願いがです、そのう、まあ、叶ていきよるといやあ、それまでですけれども、その願いが叶うて行きよるということも、こちらの信心の、度合いによることなんですから、にしては、私共の信心ではまだ、それは、おかげのほうが勝ちすぎておる。頂きすぎておる。それをちょうど、私がお餅を頂きすぎてから感じるようなことです。どうも、胃の下がりようが良くない。そういう証拠だと思われることが、最近次々とあるんですねえ。いろんな会合のときなど。また、今日の13日会の会合なんかでも、そういう雰囲気を感じるですね。今までとは、ちょっと違ってきたなと。これは、本当にしゃんとしなければいけないなといったようなものを、このう、皆さんが、一生懸命であられれば、あられるほど、それを強く感じるわけなんですけれども、信心させて頂いておってですね、ほんとに、おかげの頂きすぎも、気ずかづに、それを当たり前のようにして、お気ずきを頂いておっても、お気づきをお気づきと、気が付かんで、押し捲っていくところにです。いよいよ胃は悪化する。胃が悪い。その土台があらゆる機能に障害をきたしておる。そして、命取りということにもなりかねない事でございますから、ほんとに、ここのところを心して、私共の、信心と、おかげと、起きてくるその事態というものを、見極めて、例えば、今日の、13日会なんかに、ちょっとまあ、こうたくならなければならないことがあったんですね、信者さんたちの中に、こりゃもう、ほんとに私の言うなら、信心の重しが軽うなっとると言ったような感じがするんですね、私が、押さえきってないといったような感じがするんです。ですから、皆さんは、それを勢いで言うておられるんですけれども、これは、いよいよ頂くほうを少し押さえて、「ね」。そして、身の養生のほうを先にせないけないといったふうな、感じがさして頂いたんですけれども、皆さんも、おんなじことです。どうぞ、銘々の上にも、調子が出ておるからと言うて、その調子に乗りすぎらんように、人間というものは、ほんとにもう、卑しいですから、ここは一つ多いと思うても、それが美味しいものであったり、好きなものであったりすると、ついつい、手が出ましてから、食べ過ぎてしもうて、「ああ、食べ過ぎた」と、言うては、神様は、いわゆる、対処、大食は絶食の基とこう仰る。「ね」。おかげの、いわゆる頂きすぎは、命取りの基と、といったようなことにまで、なりかねないと思うのですね。どうぞ、おかげを頂いてください。